あなたは

ちゃんと話を聞いてもらって

いますか?

 

小学校の低学年の頃は、



本当にどこにでもいるような、

平凡な子だったと思います。



近所の子と遊んだ記憶しかないですが


公園で色おにをしたり、

ゲームしたりして、とにかく外で遊んでました。



4年生くらいになると

私立の中学を受ける友達が塾通いを始めたり、


異性を気にするようになって

男の子と遊ぶことが多くなりました。


塾には通わなかったけど、みんながスイミングに行くことになって1年くらい続けました。



小学校の習い事と言ったら

スイミングぐらいです。



母親は、


子供の頃にたくさんの習い事をさせられ

嫌になった経験があって、


僕や妹には、塾に通って勉強しなさいとも言わなかったし、父親も同じように子供の自主性に任せてくれました。





学校の成績はクラスで、

中の上くらい。


塾に行ってる子は成績がよかったです。


好きな教科は図工で、嫌いな教科は国語。


漢字を覚えるのは好きだったけど、


教科書を読みながら「・・この時の〇〇さんはどう考えたと思う?」みたいな授業が嫌でした。



クラスは全部で4クラスで、

男子はサッカークラブに入っている子が多く、


いつも一緒になってグループを作ってました。



女子はミニバスケットに入ってる子達が、


運動会や合唱コンクールでみんなを

リードしてた記憶があります。


他のクラスはどうかは知りませんが、


僕のいたクラスは、


クラブに入っていない子をイジメたり、のけ者にしたりすることは無くて、みんな仲良しだったと思います。

中学は公立の中学に。



私立の中学に行った子は何人かいましたが、

ほとんどは地元の中学に進みました。


中学校は僕が通っていた小学校と、もう1つの小学校の

2つの学校の出身者が通ってました。



最初はクラス決めで友達と離れるのが

不安でしたが、


スポーツ少年団や塾で知り合いがいる人が

話の輪の中に入れてくれて、



すぐにみんなと仲良くなりました。




中学では、部活がほぼ強制で、特別な理由がない限り、

全員がどこかの部に入らなければなりませんでした。



最初は美術部を考えましたが、


一回、見学で美術室に入った時の雰囲気が

かなりヤバかったのでやめました。



サッカーや野球のような球技は、


経験者との実力差があるし団体スポーツは

最初から入るつもりはありませんでした。



理由は

レギュラーになれないからではなく、



未経験者が練習や試合で

迷惑になるのが嫌だったからです。




母親は、

好きに選べばいいと話してましたが、


何となく運動部に入って欲しそうでした。


スイミングの経験はありましたが、

中学には水泳部はありませんでした。



1度だけ「バドミントン部は?」と母親から勧められたことがありましたが、


バトミントン部は全国大会に出場したこともある強豪で、朝練は毎日だし、土日も練習で厳しかったので入る気にはなれませんでした。



結局、

いろいろ考えて陸上部に入ることに決めました。



厳しい部活ではなかったのと、自分が遅いだけなら他の人に迷惑をかける心配もないと思ったからでした。




部活のことをたくさん話したのは、


僕は、中学時代の部活動で、

大きな影響を受けたと感じているからです。




陸上部に入部して1ヶ月は

砲丸投げや幅跳びなどの色々な種目を体験して、


自分の希望と先生や先輩からのアドバイスを受けてから、自分の専門種目を決めるシステムでした。



僕は、その結果、

長距離をやることになりました。


正直、長距離は苦手でしたが


ミスして迷惑かける心配がないだけ


気楽だと考えていました。

でも陸上競技は、自分への甘えやごまかしが

すべて結果に出てしまうスポーツで、



それを自分で受け止めなければならない

現実がありました。


ろくに練習しないで出たはじめての大会で、



僕はぶっちぎりのビリを

取ってしまったのです。



初めから結果は

予想してましたが、


その時にスタンドにいる観客や選手から、お情けの

拍手をもらったのが、本当に悔しくて情けなくて、



走り終わった後、

「ブチっ」と何かが切れたように、



スイッチが入りました。



人と競争するのを避けていた、


周囲に遠慮しすぎていた性格が少し変わったのも、


この時からでした。



それ以来、


少しでもいいタイムが出るように、

練習に力を入れました。



普段の食事や物事への取り組みも方も変えました。



勉強も負けたくない気持ちが出てきて、



2年の終わりには「塾に行きたい」と

親に頼むようになってました。



成績もそれまではクラスで真ん中ぐらいだったのが、


学校の成績は中学2年の秋頃から伸び始めて

クラスで5番くらいまで成績をあげました。




タイムもどんどん自己更新して、


県大会には出場できませんでしたが


1500mで5分を切る

自己ベストを出すこともできました。



みんなの前で恥をかいた経験は

自分を変えるきっかけとなりました。




この頃から

1つ上の先輩たちが高校の話をするようになって、


進学先にも関心が出てきました。



僕は、中学2年の頃から

憧れていた高校がありました。



その高校はバドミントンで全国大会に出た先輩や、生徒会長だった先輩、そして僕に親身になって練習に付き合ってくれた先輩が、みんな、その高校を目指していました。



その高校に入れば、


自分もそんな、


憧れの先輩に少しでも近づけそうな

イメージがあったんだと思います。


とにかく当時は

「ここしかない」っと思って勉強しました。


その高校は僕の通っていた学区では2番目難しいところで、クラスで3位くらいの成績を取らないと担任の先生も受験を勧めてくれない高校でした。



今でも思い出しますが、

あの時の自分は本当に頑張っていたと思います。



家族もみんな応援してくれました。



仕事で忙しい父親も

休みの日に車で塾まで送ってくれました。


そんな家族の協力も力になりました。


その甲斐あって、

僕は目指していた〇〇高校に入学することができました。

僕が合格した高校は、


昔は旧制の中学だったので、

地元では古くから知られている高校でした。


制服もちょっと特徴的で、


その制服を見れば、

地元の人はすぐに〇〇高校の生徒だとわかるものでした。



高校は勉強にも部活動にも力を入れる文武両道の学校で、


運動部も文化部も全国大会に出る部もあるし、

いい大学に行く人もたくさんいました。



だから何から何まで「手を抜く」ことがない校風で、

文化祭も体育祭も取り組み方が、本当に徹底的ですし、


強歩大会では男子は30キロも歩かなければなりません。



友達もすぐできました。



クラスメイトは3年間を通して、

男子も女子もみんないい人ばかりでした。


困っている人がいれば手伝うし、勉強も球技大会も、全力投球。ズルをする人なんて見た事がなかったですし、誰かが困っていれば助けてくれる人がたくさんいました。



先生も授業は一生懸命で、

手を抜くような先生はいませんでした。


放課後に質問に行けば、

どんなに忙しくてもちゃんと質問に答えてくれました。


その代わり、授業は厳しかったし、

宿題もたくさん出ました。



部活動には入りませんでした。


理由はクラスの友達と一緒に過ごすのが

何より楽しかったからです。


特に放課後、みんなと学校に残って勉強したり、

色んな話をするのが本当に楽しかった。




学校の帰りに別の高校に通っている中学時代の友達に会うと、


勉強や部活や人間関係で

上手くいっていない話をたくさん聞いたので、



僕は恵まれていると思いました。



学校の生徒は、ほぼ全員が大学進学を希望していて、


将来進みたい進路がはっきりしている人も

多かったと思います。



僕は高校に入ることに集中していたものの、


その後の目標はありませんでした。



ただ周囲の友達につられて勉強していたので、


学校の成績は、そんなに悪くは

ありませんでした。



クラスの約半分は

国公立大学を目指していたので、


私立大学の推薦は、

意外と人気がありませんでした。


先生からも


「はっきりとした目標がないと一般受験は難しいから推薦入学を狙いなさい」とアドバイスされました。




僕には目指す具体的な目標はありませんでしたが、



進学先には

こだわりがありました。



それは何かに一生懸命に、前向きにやっている人は、


それなりに難しい大学に

集まってくるものだという考えでした。



それは中学時代にあまり勉強しないで、


入った高校でつまらなそうに通う友達を見て、

そう考えるようになっていました。



だから自分のベストな方法で


大学に入ることを考え、

先生のアドバイスに従うことにしました。



僕は東京のある大学の経済学部に

推薦合格をもらう事ができました。



先生からは学部選びは慎重にと言われましたが、


はっきりと学びたいものが

なかった自分にとって、



他の友達が厳しい一般受験の道を選んでいるのに

見劣りしない、


それなりのレベルの大学に進むことに

意識が向いていました。

こうして高校を卒業して、

故郷を離れ、東京での大学生活が始まりました。




上京することを考えると少し不安でしたが、東京で他の大学に通う友達もいましたし、幸い、同じ大学の学部に通う友達もいて、東京に行ってから5月くらいまでは、その友達と一緒にいる事が多かったです。



でもお互いに東京の生活に慣れてくると、サークルに入ったり、他の友達ができたりして、別に仲が悪くなったわけではないですが、自然と一緒に行動しなくなりました。



僕も色々なサークルにも顔を出してみました。



サークルに入れば、それなりに楽しそうでしたし、いろんな情報も入るし、何かと便利な点もありそうでしたが、どこか物足りなさを感じて、結局どこにも入らずにいました。



それよりもアルバイトをしたほうが、社会勉強にもなるし、お金にもなると、仕事をして稼ぐ方に興味が湧いて、アルバイトに専念することにしました。



土日を含めて週に4日のシフトで働きました。



平日は授業が終わると、

バイト先のイタリアンレストランに直行してました。



このアルバイトにしたのは、

どこかアットホームな感じがしたのと、



一人暮らしなので、

まかないでご飯が食べられたのが決め手でした。




大学の授業は100人くらいが入る大きな教室で授業を聞くスタイルで、初めて聞くことばかりの勉強でしたが、正直、興味が湧くような内容ではありませんでした。



それでも「これが大学なんだ」と思って、


それなりに真面目に

授業を受けていました。



授業では数学を使う事が多くて、


数学が苦手な人は、

かなり苦労しているようでした。



講義中に隣の知らない人からも

よく計算の仕方を聞かれました。



僕の通っていた高校では、

数学は、文系でも3年生まで授業があったおかげで



大学の講義には何とかついていけました。



そんなこともあって、


大学でも軽い話をするような友達は何人もいて、


何となく声をかけられたり、


自分から何かを聞ける知り合いがいない状況では

ありませんでした。



経済学部は退学する割合が多いらしく、


その原因が数学のつまづきがあったり、


僕のようにはっきりとした目的がない人が

入学するケースが多いのが理由だと、


入学した頃のオリエンテーリングで

説明がありました。



だから将来に就きたい仕事や、やってみたいことを見つけることや授業についていけない人は補習を受けるようにアドバイスされました。


でも夏頃には

クラスの2割くらいの人がいなくなっていました。





アルバイトも、はじめて半年が過ぎて、

仕事の一通りの事が出来るようになっていました。


働いているメンバーは若い人が多くて、

お客さんがいない時には、


よくバックヤードで話をするくらいに

打ち解けていました。




メンバーの中には、家庭の事情で高校を出てアルバイトをしてる人もいたし、オートバイを買うために資金を貯めている人、僕と同じ大学生で海外留学するための学費を稼いている人、子供ができる前にマンションを買おうとパートで働いている人など・・



みんな何かの目標を持っているようでした。



対照的に、


大学では毎日のように浴びるほど酒を飲むサークルの話や合コンの話し、ファッションや遊びの話が授業中に飛び交うのが気になり始めました。


逆に、

授業中にずっと寝ている人もいて、



大学に行けば前向きな人と出会えると思い描いた構想は、


泡のように消えていました。



そして、いつしか大学生活をダラダラすごず人たちを軽蔑し始めている自分がいることに気が付き始めました。



でも、同時に、



そんな遊んでばかりいる彼らと

自分の違いは一体どこにあるのかと



考えるようにもなりました。



自分は、


将来の目標ややりたいことを見つけるために


田舎から出てきて大学生活を送っているのに、


それが今だに見つかっていない。



経済の勉強をしたいために、

この大学に進んだわけでもない。



だとすれば、


毎日まともに授業を受けていない人と

どこが違うのかと・・



高校時代の友達に、

そんな話を打ち明けることもありました。



でも、僕のように

何の目的も持たずに東京に出てきている友達はいなくて、



皆、目の前にある課題に取り組んで、

充実した日々を送っているようで、



話は親身に聞いてくれましたが、


不完全燃焼している自分の気持ちを

ブチまけるのも申し訳ない気持ちでいました。

僕はだんだん、

迷い始めていました。



そんな迷いのあるまま

12月になり、



実家に帰って、

いつもと変わらないお正月を過ごしました。



東京の大学で学生生活をしている息子のことを

周囲の人に嬉しそうに話している両親の姿を見たら、



不甲斐ない

自分の悩みを話すことはできませんでした。



ひとまず、

これからのことは、



年明けの試験が終わった、2月に帰省をした時に



改めて、

親に相談しようと思っていました。



しかし、


年明けの後期試験も終わり

帰省をしようかと思った矢先、



近所でコロナの感染者が出て、


周囲から心ない中傷を受けて、大変な状況になっていると

実家から連絡がきました。



そして「家には帰って来ないで欲しい」と



悔しさの入り混じった涙声で、

実家の母親から言われてしまったのです。




僕が東京の大学に通っている事は


田舎の近所の人はみんな知っています。



普段からお付き合いのあるご近所ばかりです。


こっそり帰っても直ぐにバレてしまいます。



帰ってきたのが判れば、


仮に感染していなくても

近所からの苦情が来ることは間違いありません。



そして何より



高齢の祖母も同居していましたから、

おばあちゃんの事も心配だと言われました。



大好きな地元で、そんなことが起こっているのが、

残念でなりませんでした。




僕は仕方なく、

東京にとどまることにしました。




ただ同じように田舎に帰れない友達もいたので、

この状況を共有できたのが唯一の救いでした。



3月になって成績を確認すると、

何とか単位は落とさずに2年生になれていました。



また4月からはリモートで授業を行い、

キャンパスを閉鎖すると、大学から通知がありました。



大学の授業は面白くなかったので、

リモートになってよかったと思う反面、



何気ない会話のできる知り合いや

キャンパスで過ごす時間、


そして学食や図書館が

自由に使える環境を一気に失うのは、



これからのことを考えたり、

探そうとしている自分にとっては、



とても大きな痛手でした。



でも自分では、

どうする事もできません。



2年生になった僕の生活は、

アパートとアルバイト先の往復だけになりました。



ただレストランのアルバイトも、



緊急事態宣言が出て、

お客さんが一気に減ってしまった影響で、



週4のアルバイトが

週2に減ってしまい、


アパートで過ごす時間が増えてきました。



アルバイトの日も

シフトで入るのが自分と店長だけいう日も多くなりました。



たまにアルバイトが2人になると、

みんなの近況を聞くことが多くなって、



留学を諦めたり、


マンションを買うために貯めていた

貯金を切り崩している話など、



みんなが苦労している話を

たくさん聞きました。



そして6月。

店長から連絡が入り、



バイト先は

休業になってしまいました。




僕は、1日1回、

コンビニに行く以外は、



家から出る事もない、

大学のリモート授業を見るだけの生活になっていきました。



それでも同じ状況で頑張っている

バイト仲間や、東京で頑張っている人もいるんだと、



やる気を失わないように心がけました。



でも、その生活も1ヶ月もしないうちに、

持たなくなり、



リモート授業の空いた時間を使って、


新しいバイトに応募して、

働くことにしました。



でも、前と同じような

飲食関係はどこも募集は少なく、



海沿いの倉庫で

荷物の仕分けをする仕事に就きました。



大きな倉庫で

黙々と荷物を運ぶ仕事です。



休憩中も不要な会話をしないように言われて、


皆黙って、

缶コーヒーを飲んで休憩するような、


どこか寂しさを感じる職場です。






特に目的もなく東京の大学で

学生をやっているのも、



意識の高い人たちから刺激を受け、

自分を見つけ出すことが目的でした。



なのにキャンパスは閉鎖、地元に帰る事もできない、



そんな中で、

自分を見つけることができるとは思えなくなっていました。





あと1年したら就職活動が始まります。



別に企業のブランドに

こだわっている訳ではないですが、



やりがいがあって、


給料も休みもちゃんともらえる

ちゃんとした会社に勤めたいと思っています。



それはアルバイト仲間の生活を見て、

つくづくそう感じました。



地元の公務員になることも考えてましたが、

コロナの一件で、



地元愛も少し冷めてしまいました。



どちらにしても、前向きな人間で、

自分に磨きをかけてなければ、



望んでいるような将来はないと

思っています。



今の自分は、

ただ東京に出てきただけで、



何も進歩していません。



最悪、このままリモートで



大学を卒業して、社会人になるかと思うと、

不安でなりません。



就職では、自分をアピールしなければ

いけないはずです。



なのに、



僕は、いまだに自分が、

何ものかも分かっていません。




どうやって自分を説明したらいいのか?



もっと自分を成長させたいのに、



僕は八方塞がりになっています・・・

長い文章にお付き合いいただき、

ありがとうございました。



この話は、坂本翔吾さん(仮名)との

お話の一部をまとめたものです。





もしあなたが、



この話を読んで、

同じような危機感をお持ちで、



ご自分の話をする勇気があれば、



あなたのお話を伺い、


絡まっている気持ちや考えを

引っ張り出して、



自信を取り戻す

お手伝いをいたします。



ご希望の方は、

私たちにご連絡をください。



面談には

Skypeを使います。



下のボタンを押して連絡先をおしらせください。




※2022年4月1日よりオンライン面談は有料になりました。

面談時間は60分でご負担いただく費用は10,000円です。


司会 

うちのプログラムはインターネットでしか募集をしていませんが、ホームページをみてどう思いましたか?



Aさん

面接というものが分からなくなって、ネットサーフィンをしているときに過去に受講されたかたのメッセージが写真で載っていて、「今までの面接は勘違いしていた、今の自分があるのは先生のおかげです」という趣旨のコメントだったと思うんですけど、たぶんその方も予備校なんかで勉強していて、面接対策が何か違うなって感じていたのところに、自分もシンクロして、これは一発賭けてみようかと思って、無料面談に応募しました。



司会

インターネットだけの募集なので、ときに怪しむ人もいるんですが、そんな不安はありませんでしたか?



Aさん

そうですね、でも大々的に事前に無料相談をしてくれていますし、最初に話しを聞いて、自分に合わなかったら申込まないこともできましたし、今の時代、ただで簡単に情報を得ようと思っても、自分に必要な情報を得ることは無理なので、、それなりの対価が必要なのは理解していました。




司会

実際に事前面談で、私と話したときの率直な感想はどうでしたか?



Aさん

あーなにか厳しいことを言われそうだなと(笑)・・・自分が今まで合格してこなかったのは、自分の甘さがあることは何となく分かっていたので、厳しいことを言われるのは覚悟しなければいけないと思いました(笑)




司会

で、実際きびしかったですか(笑)?



Aさん

自分の対策不足ですとか、やり方が間違っていたことを的確にアドバイスしてくれたので、厳しかったというか、核心を突かれたという感じで、思っていました。



司会

(第1段階の)自己分析をやっている最中は、どんな感じでしたか?



Aさん

マトリクスを作っているときですよね。あー、もう質問されたことに、自然に答えていた感じですね。でも、これ「どういう結果になるんだろう」っていう楽しみと、もし(消防官の)「適性がない、向いていないって言われたらどうしよう」って思いでいました(笑)




司会

(第1段階が終わって)その結果を聞いて、どう思いましたか?



Aさん

確かに、そうだなって思いました。あと、今までの自分の面接対策は何だったんだと・・そんな思いを強く感じました。


結果を聞いた時に「そのままの自分でいいんだ」という気持ちがすごく湧いて来て、そのままの自分のなかにあるもの練っていけばいいんだと感じました。その練っていく過程を先生と一緒にやっていけばいいんだと思いました。


司会

まさに、それが正解なんです(笑)



3年間成果が出なかった試験に

面談から9ヶ月で脱出した消防官



  1年前の就活に失敗。トレーニングを始めて

全ての公務員に合格



司会

今、合格している試験を教えてくれますか?


Aさん 

えーっと、地方上級試験の試験が2つに合格しているのと、国税専門官と国家公務員一般職に合格しております。



司会

全部で4つの試験に合格してるんですね。


Aさん

はい



司会

これは受けた試験全部に合格しているってこと?


Aさん

そういうことになります。



司会

すごいですね・・ところでAさんは、この自己分析や面接レッスンを含めた、自己開発トレーニングをなぜ、受講しようと思ったんですか。そのキッカケを教えて下さい。


Aさん

実は、私は去年、このレッスンを受ける年に就職活動に失敗しまして、その時に自己分析が甘かったのが原因だと考えて、受講することを決めました。



司会

この自己開発トレーニングは、他にはあまりないプログラムだと思うんですが、受講しようと思った決め手は何ですか?


Aさん

うーん、決め手は、ホームページの内容と、最初にメールを送った時に、匿名で送ってしまったことを怒られて、自分の甘さに気づかせてくれたことです。



司会

ああ、そんなこともありましたね(笑)なるほど・・。


ところでAさんが入会したのは去年の秋頃だったと思いますが、このプログラムの効果はどんなところで感じることがありましたか?


Aさん

簡単に言うと、思考がポジティブになったことです。今までは、何かあると「ダメだ」と思うことが多かったのですが、今では失敗しても、前向きに、次をどうするかを考えられるようになったことです。



司会

このプログラムが、勉強に効果があると思うことはありましたか?


Aさん

勉強は、まず勉強の相談ができたことです。どうしても勉強で分からないことがあると、ネガティブになることも多かったので、それを解消するのに役立ちました。



司会

じゃあ、レッスンで何気なく話していた勉強のアドバイスも、効果があったというですか(笑)


Aさん

はい、そうです。



司会

すでに、2次の面接試験を受けている最中かと思いますが、レッスンでは集団討論も2回、他の会員さんと一緒に受けてもらっています。このプログラムがESの作成や集団討論、プレゼン面接などに役立っていると実感してますか。


Aさん

そうですね、はい。実感しています。



司会

最後に、このプログラムをどんな人にオススメしたいですか?


Aさん

まずは自分のやりたいことが決まっていない人、自分のやりたいことがふあふあしてる人にオススメしたいです。自分一人では気づけないことはたくさんあるので、それに就職先は自分の将来を大きく左右するものなので、そんな曖昧な気持ちで、決めたく無いなと思っている人には、是非オススメしたいと思います。



司会

毎日いろいろな面接試験があって、とても忙しいAさんに、レッスンの合間にインタビューにお付き合い頂きました。どうもありがとうございました。


Aさん

ありがとうございました。


  留年・引きこもりから4ヶ月で

公務員に内定



司会 

今回は大学を中退されて4ヶ月で公務員に最終合格したAさんにお話を伺います。まずは、合格おめでとうございます。


Aさん

ありがとうございます。



司会 

このプログラムを見つけたのは、Googleとかの検索エンジンで見つけてくれたんですよね。


Aさん 

大学を中退することになって、どうしようかと考えた時に、公務員試験を調べるうちに、このレッスンのことを知りました。



司会 

公務員を目指そうと思った時に、職種や仕事を決めていましたか?


Aさん 

いいえ、全く決めていませんでした。



司会 

トレーニングの効果があると実感したのはいつぐらいからですか?


Aさん

大学を中退したんですけれども、それまで引きこもりのような生活をしたので、週に1回ぐらいのペースで半ば強制的に話をする機会が持てて、ちょっと大げさですが社会との接点を持つことができたのが大きかったです。



司会 

じゃあ、1回目、2回目くらいからですか?


Aさん 

はい、2、3回目くらいから、ひとりの人と1時間くらい顔を突き合わせて話をするのがとても貴重な体験だと気がつきました。



司会 

今回、最終合格されましたけど、その職業をやってみようと思ったり、感じたりしたきっかけは、どんなプログラムでしたか?


Aさん 

はい、自己分析マトリクスで出てきた「人と繋がるような職種」がいいんではないかという結果が出て、最初は漠然としていたんですが、真剣に調べるようになってから、何ででしょうか?そういう仕事が面白そうだと感じるようになって、やってみようと思えるようになりました。



司会 

引きこもりだったということで、外に出るのに抵抗があったじゃないですか。それがどのあたりから薄らいできましたか。


Aさん 

たぶん、その職業に就きたいなと思えるようになってからだと思います。その頃から「自分はこの職業で働くんだぞ」というイメージが湧いてから、劣等感が無くなりました。それまでは、自分はこの先、働けるんだろうかとばかり考えてました。



司会 

入会した時は、1年かけて合格しようと考えていたと思いますが、こんなに短い期間で合格するとは考えていなかったと思います。まずは1次試験に合格した時は、どんな気分でしたか?


Aさん

手応えとしては、そんなに悪くはなかったんで、期待していなかったわけではないですが、今までもうまくいかないことが多かったんで、かなり圧迫感がありましたので、合格した時はかなり嬉しかったです。



司会 

問題は、2次試験だったと思うんですが、面接に対する抵抗感はありましたか?


Aさん 

はい。やっぱり怖い気持ちがありました。



司会 

当然、中退のことを聞かれるじゃないですか、、やっぱり怖かったですか


Aさん 

うーん、やっぱり怖かったですね。中退のことって絶対に聞かれるんで対策しやすいとは思いますが、どんな風に突っ込んでくるのかと、やっぱり怖かったですね。



司会 

今はどうですか?


Aさん 

自分が思っていたよりもうまくできたと思いました。



司会 

試験が終わって合格された方、皆さんに伺うんですが、周囲の方の反応はどうでしたか?


Aさん 

母と父は迷惑をかけてきたので、かなり喜んでくれました。ちょっと大げさかもしれませんが、泣いて喜んでくれました。



司会 

大学を中退した人が公務員試験でリベンジを目指すケースが多いんですが、そんな人たちへ、メッセージがあったらお願いします。


Aさん 

かなりの時間、面談してきたので、いろんな意味で、情報不足になることはありませんでした。職業選択や面接試験にはかなり効果があったと思います。人から見れば、だらしない経歴ですが、そのなかにも自分の経験を生かしていけるようなものがあると思うので、努力をすれば結果は出せますので、頑張って下さい。

       

等身大で悩みを受け止めてくれる

唯一の場所



司会

プログラムを知ったのはインターネットで?


Aさん

はい、大学中退のことを調べているうちにWebページに当たって、見つけることができました。



司会

大学の授業に行き詰まったのが理由ですか。


Aさん

大学の授業と人間関係、大学で全然友達ができない、大学に行く意味が見出せなかったのが大きな悩みでした。



司会

ちなみにどれくらいの期間悩んでいましたか?


Aさん

えーっと、そうですね・・・


司会

だいたいで結構です。


Aさん

だいたい2年間ぐらいでした。


司会

2年・・


Aさん

はい。



司会

このプログラムの面談の前に、誰かに相談しなかったんですか?


Aさん

簡単にバイト先の社員さんには相談しました。


司会

大学のチューターさんや学生相談の窓口は利用されなかったんですか。


Aさん

そっちも、利用しましたが、何というか、あんまり信用できないというか・・なかなか話づらいじゃないですか。どうしても大学関係者だということで自分にフィルターを持ってしまっていましたし、一度は心理学者の先生に回されてしまって、なんか気軽に話ができない雰囲気にもなってしまったのもちょっと・・・


司会

なんか研究対象にされそうですね(笑)


Aさん

そうですね(笑)


司会

そうですね大学の先生に相談すると、どうしても大学は続けるのが前提のアドバイスになってしまいがちですからね・・


Aさん

そうですね。



司会

この面談に応募するのには、結構勇気がいるじゃないですか(笑)決断のポイントって何かありましたか?


Aさん

やっぱり大学を中退することを考えたときに、相談所としては一番信頼できると思ったことです。ネットで他のところを探してみるんですけど、なかなか見つからないんですよ・・・大学を中退して就職したいと思っても、中々一対一でお話を聞いてくれるものは無くて、大学中退なんかの全体的なまとめサイトはあるんですけど、引っかかるところとそうでないところもあって、本当に一対一で等身大で自分のことを相談できると思ったからです。面談の後もメールを下さったじゃないですか。


司会

はい。面談の後にですね・・


Aさん

そうです・・その後も色々探してたんですけど見つからなくて、心配して連絡くださったのを受けて「この人は信頼できる」と思いました(笑)それが一番でしたね、他には見つからなかったんで


司会

うーん(笑)はい。では最後に、このインタビューを聞いている大学が合わなくて、中退して就職したり、別の道を考えている人に向けて、何かアドバイスやメッセージがあったらお願いします。


Aさん

はい、そうですね。一番大きいのは、大学を中退する前に、1回きちんとした話をこの面談でしてもらえたらなって思います。僕は10回の面談プログラムを活用させてもらいましたが、僕の利用の仕方としては、やっぱり最初に自分にとって大事なものをどんどん見つけてくれて、例えば小さなプライベートなことから大きな人間関係まで、あと自分がどんな恐怖を抱いているか、もしそれが最初に見つかったら、見つかるだけでもものすごくラクになったんですが、


司会

うん。


Aさん

もし最初に見つかっていたなら、大学を中退しなくてすむ道も見つかるかもしれないので・・僕は大学を中退するって決めてから相談に乗ってもらったんですが、それでもいい面がたくさんあったんでそれでも納得できるも道もたくさんあるんでよかったんですけど、どうせなら大学を辞める前にきちんと相談に乗ってもらってから決めてもらいたいと思います。


司会

なんかメチャクチャいい事

言ってくれましたね(笑)


Aさん

いや(照)


司会

そうだね、早めに相談してくれた方が、こっちとしても色々な選択肢を出すことができるし、できれば一度乗っかったレールは外れない方がいいからね。辞めるとか抜けると言ったことを始めるのは結構エネルギーが要るからね。


Aさん

はい、違うことにも考えを巡らさなければならなくなるので、エネルギーが分散されてしまうというか、予想以上に他のことにエネルギーを費やさなければならないことを辞めてから気がつきました。


司会

そうですね、どうしても不安になりますからね。Aさんは世間的には結構有名な大学を中退することになりましたし、高校も地元では相当な進学校に通っていましたから、親御さんの期待も大きかったでしたし、それを説得するのは相当苦労していましたからね。それをご自身に向き合って説得して、自分で道を切り開いたんですから、本当に良かったなって思ってます。これからも頑張ってくださいね。


Aさん

はい頑張ります。

神奈川県横浜市出身。


2012年10月、インターネットを通じて独自の自己開発プログラムを履修する指導塾を設立。初年度から自信喪失に陥ったクライアントを開始から4ヶ月で大卒程度の公務員に内定させるなど初年度から驚異的な実績を出す。過去問題から頻度の高いテーマだけを抽出した234テーマのレッスン、解法ビデオを駆使し、そのユニークで実践的な手法で次年度以降には高校生の全員を1次試験に合格させるなど、個人の状況を重視したスタイルで、カリキュラム、教材面からのアプローチに力を注ぐ。また自己開発プログラムの無い資料提供にも力を入れ、スタッフを中心にビデオ講座や面接に特化したプログラムの提供を開始。代表が専任で行う正規会員枠の指導は、入会待ちが平均2ヶ月で、全国にいるクライアントとテレビ電話を介して指導する年間指導時間数は一人当たり平均50時間。クライアントの中には公務員試験合格、就職内定等の成果を得た後も継続を希望するクライアントも多数。現在は就活学生の他に、独自のトレーニングを通じて現役高校生や大学生、フリーターからの公務員就職の支援のほか、公認会計士試験の合格内定、現役の公務員やビジネスマンへの転職、会社経営者への事業支援、また世界選手権出場レベルのアスリートへのサポートなど、様々な分野でその効果を実証。各分野からの問い合わせも多く、多忙な日々を過ごしています。またコロナ禍で、より厳しい環境で公務員を目指す人が増えることを配慮した公務員試験234テーマの完全ビデオ化プロジェクトを推進中。現在は第1期が完成し2020年12月から各プログラムでの供給を開始し現在は第2版274本の動画の配置が完了。2021年12月には会員限定で配布していた「高校生の公務員合格ノート」を出版。レッスンの傍ら、スタッフと共にビデオの制作・編集にも取り組んでいます。

就職塾 こうなろう   

代表 木薗 邦彦

※面談をきっかけに自信を取り戻した方の

インタビューの一部を掲載いたします。


申し込みを迷われてる方は参考になさってください。